2009年1月16日金曜日

喜納昌吉さんが「誰も知らない泣ける歌」に出演


 だいぶ遅くなりましたが、この日記は年明けはじめての書き込みになります。今年も、毎日の書き込みとはなりませんが、私の彷徨いの日記にお付き合いください。よろしくお願いします。
 さて、突然ですが、お知らせです
「昔、家族で『アルプスの少女ハイジ』を見ていて妻よりも娘たちよりも先に泣き出す、お父さんだった」という俳優の西田敏行さん(西田敏行インタビュー「根無し草から脱したかった」『R25 アール25』2009 1.15 No.221より)。
 その西田さんがいつも「ぽろぽろ」、「ボロボロ」泣いている番組は関西発の人気テレビ番組『探偵!ナイトスクープ』(東京では東京MXテレビで放送)と日本テレビの『誰も知らない泣ける歌』です。私も時間があるときは前者を見ては大笑いで笑い泣き、後者を見てはたまに目頭が熱くなって涙腺を緩ませたりしています。
 後者の日本テレビ『誰も知らない泣ける歌』のほうに、沖縄出身の音楽家で参議院議員でもある喜納昌吉さんが出演します。少女の涙に虹がかかるまでという曲をアコースティックバージョンで演奏するそうです。
 放送は、1月20日(火)の夜9時30分からです。日本テレビですから関東圏では4チャンネル。 お時間がある方は、お見逃しなく、ぜひご覧ください。

 喜納昌吉さんのことをあまり知らない人でも、『花 ~すべての人のこころに花を~』や『ハイサイおじさん』という名曲でおなじみの沖縄(琉球)出身の歌手と言えば、「あ~あの人ね」と思い出していただける方も多いと思いますし、『花』や『ハイサイおじさん』は誰でも一度は耳にしたことがあるメロディーではないでしょうか。
 私は、喜納昌吉さんに、
ジョン・レノンのような優しさ(メッセージ性)と
ボブ・マーリーのような雰囲気(民族性)と
ジミ・ヘンドリックスのような激しさ(激昂性というかラジカルなところ)とを、
勝手に感じてしまっていて、喜納さんは私にとって、日本では一番好きなアーティスト、ミュージシャンです。
(でも、喜納さんは喜納さんでしかないというオリジナル的なところが私が喜納さんのファンたるゆえんでもあります)
 喜納さんが参議院選挙に出馬された時は、選挙ボランティアとして、各地を一緒に回りましたが、どこに行っても喜納さんのライブ&トーク(演説?!)にはすごい人だかりができ、選挙の遊説場所が次々にお祭りの場に変わっていくというような不思議な感覚を体験。どんな選挙でもいつも非常にしんどいものですが、そのしんどさも忘れるほど楽しい選挙でした。何しろ喜納さんの後ろで喜納さんの名前ののぼり旗を持っていることが多く、喜納さんのライブを目と鼻の先で見ていたわけですから、喜納ファンとしては、役得というか、仕事冥利に尽きるというもの。

 北野武(ビートたけし)さんは、自身がラジオ番組オールナイトニッポンのパーソナリティーをしていたときに『ハイサイおじさん』をエンディングにかけていて、 『花 ~すべての人のこころに花を~』も愛聴歌だそうですが、『喜納昌吉 1948~2000 流れるままに』(エイト社)という本で、喜納さんについて、

喜納さんの音楽の世界、喜納昌吉という人の世界というものが確実に存在し、それを愛する人間にとっては、いつでもその世界を心地よく共有できる。無意識のうちに、時間を超えて、そこにその唄があるといういう空間に存在している自分を、そして喜納さんを感じずにはいられない。
 喜納さんご本人とお会いした時、なぜかとても照れてしまい、なんとご挨拶したらいいのか戸惑ったが、喜納さんも「何だか変な感じですね」と、同様の照れの中で会話を交わしたように覚えている。喜納さんのメッセージはとても熱く、時として激しいけれど、この独特の照れた感じがあるからこそ、その唄にも、メッセ―ジにも説得力があり、感動を与えてくれるのだと思う。(省略)つくづく喜納さんはスゴイ人だと思う。ってな訳で、喜納昌吉は本物のアーティストだぜ。分かったか!ジャン・ジャン!!


というメッセージを寄せています。

さて、『花 ~すべての人のこころに花を~』(作詞・作曲:喜納昌吉)の歌詞は

川は流れて どこどこ行くの  

人も流れて どこどこ行くの  

そんな流れがつくころには  

花として花として 咲かせてあげたい  

泣きなさい笑いなさい  

いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ
    

と始まりますが、今年こそ 市民の力で、政権交代という『チェンジ』をつかみ、日本の将来に花を咲かせましょう!!

※写真は参議院選挙最終日の渋谷ハチ公前でのライブ(2004年7月10日)